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宇都宮地方裁判所 昭和42年(ワ)97号 判決

原告 国

右代表者法務大臣 稲葉修

右指定代理人 森脇勝

〈ほか七名〉

被告 村上正恵

〈ほか二一名〉

右被告二二名訴訟代理人弁護士 砂子政雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告は左の(請求の趣旨)記載の主旨の判決を求め、被告らは主文同旨の判決を求めた。

「(請求の趣旨)

一  被告村上正恵は別紙図面表示のA土地

被告田中治作、同安田正男、同長谷川芳太郎は同図面表示のB土地

被告谷中美枝は同図面表示のC土地

被告安藤千恵子は同図面表示のD土地

被告片岡昭子は同図面表示のE土地

被告岡本喜子は同図面表示のF土地

被告定兼隆信は同図面表示のG土地

被告小林張三郎は同図面表示のH土地

被告安部陽一は同図面表示のI土地

被告鈴木康弘は同図面表示のJ土地

被告山本道一は同図面表示のK1、K2、K3およびK4の各土地

被告萩森典子は同図面表示のL1、L2の各土地

が、いずれも原告の

被告安藤千恵子は同図面表示のM土地

被告大沢トシ子は同図面表示のN土地

被告土谷千代子、同土谷正彦、同土谷真知子は同図面表示のO土地

被告岡本喜子は同図面表示のP土地

被告阿部淑は同図面表示のQ土地

被告福田典充は同図面表示のR土地

被告山口喬は同図面表示のS土地

被告安部陽一は同図面表示のT土地

被告小林張三郎は同図面表示のU土地

被告鈴木康弘は同図面表示のV土地

被告竹入美保子は同図面表示のW土地

被告山本道一は同図面表示のX1、X2の各土地

被告萩森典子は同図面表示のY1、Y2の各土地

が、いずれも訴外森脇将光の各所有であることを確認する。

二  被告定兼隆信は別紙物件目録(一)記載の建物および工作物を収去して別紙図面表示のG土地を

被告大沢トシ子は別紙物件目録(二)記載の建物および工作物のうち別紙図面表示のN土地上に存する部分を収去して右N土地をそれぞれ原告に明渡せ。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。」

第二当事者の主張

原告は請求原因として

「一1 別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地は、原告所有の栃木県那須郡那須町大字湯本ツムジガ平二一三番三二一土地(以下、地番もしくは枝番のみで表示する。他の土地についても同様である。)、同番三二八土地、同番三六三土地、同番三六六土地、同番三六八土地および同番三七二土地である。

2 別紙図面表示のMないしW土地、X1、X2土地、Y1、Y2土地は、訴外森脇将光所有の二一三番三六四土地、同番三六七土地および同番三七一土地であるところ、原告は、右訴外人の昭和二三年度および同三一年度の滞納国税を徴収するため、昭和四〇年七月一〇日、国税徴収法六八条に基づき右各土地を差押えた。

二 ところが、被告らは、別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、L1、L2土地、MないしW土地、X1、X2土地、Y1、Y2土地(以下、本件係争地という。)が原告および訴外森脇将光の所有であることを争い、また被告定兼隆信は別紙図面表示のG土地上に別紙物件目録(一)記載の建物および工作物を所有して右G土地を占有し、被告大沢トシ子は別紙図面表示のN土地上に別紙物件目録(二)記載の建物および工作物の各一部を所有して右N土地を占有している。

よって、原告は被告らに対し、原告所有土地については原告自らの所有権にもとづき、訴外森脇将光所有土地については同人に代位して、その所有権にもとづき前記請求の趣旨記載のとおり、本件係争地につき所有権の確認を求めるとともに、被告定兼隆信および同大沢トシ子に対して建物等収去土地明渡を求める。」

と述べ、そして被告ら主張の抗弁事実を否認するとともに、再抗弁として次のとおり述べた。

「仮に、被告らの抗弁事実が認められたとしても、

一  抗弁一に対して

原告は、本件係争地のうち別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地(原告土地)について、昭和二五年一二月四日、所有権取得登記手続を了し、またMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地(訴外森脇土地)については、昭和四〇年七月一〇日、滞納処分による差押登記を経由したから、被告らは時効取得をもって原告に対抗することはできない。

二  抗弁二に対して

別紙図面表示のMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地(訴外森脇土地)については、訴外森脇将光は、昭和四〇年一一月二〇日頃、右土地の周辺に丸材を打込み有刺鉄線を張りめぐらし、かつ同訴外人所有地なる旨を表示した標杭、立看板を設置して、右訴外森脇土地を占有したことにより、被告ら主張の取得時効は中断した。

三  抗弁三に対して

1  別紙図面表示のMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地(訴外森脇土地)については、前記二と同様の事由により、被告らの取得時効は中断した。

2  訴外森脇将光は、別紙図面表示のMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地(訴外森脇土地)について、右各土地を占有している被告ら(請求の趣旨参照)に対し、昭和四一年一〇月四日、内容証明郵便をもって当該各土地の明渡を求める催告をなし、また原告は、被告片岡昭子、同岡本喜子、同定兼隆信、同小林張三郎、同山本道一、同萩森典子に対し、昭和四一年九月三〇日、内容証明郵便をもって、右被告らがそれぞれ占有するE土地、F土地、H土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地の明渡を求める催告をなし、次いで、原告は(訴外森脇土地については森脇に代位して)、右催告後六ヶ月経過以前である昭和四二年三月二九日本件訴訟を提起したから、右被告らの取得時効は中断した。」

被告らは請求原因に対する答弁として

「請求原因事実のうち、原告が訴外森脇将光に対する滞納国税を徴収するため、二一三番三六四土地、同番三六七土地および同番三七一土地を差押えたことは不知。その余の事実は否認する。

しかして、別紙図面表示のA土地は被告村上正恵所有の二一三番七四一土地であり、B土地は被告田中治作、同安田正男、同長谷川芳太郎所有の同番七四〇土地であり、C土地は被告谷中美枝所有の同番七六一土地であり、D土地およびM土地は被告安藤千恵子所有の同番七六〇土地であり、E土地は被告片岡昭子所有の同番七六五土地であり、F土地およびP土地は被告岡本喜子所有の同番七六四土地であり、G土地は被告定兼隆信所有の同番七六九土地であり、H土地およびU土地は被告小林張三郎所有の同番七六八土地であり、I土地およびT土地は被告安部陽一所有の同番七七八土地であり、J土地は被告鈴木康弘所有の同番七八〇土地であり、K1ないしK4土地、およびX1、X2土地は被告山本道一所有の同番三〇六、七七一、七七二、七七四、七七五、七七六、七七七土地であり、L1、L2およびY1、Y2土地は被告萩森典子所有の同番七七三土地であり、N土地は被告大沢トシ子所有の同番七五九土地であり、O土地は被告土谷千代子、同土谷正彦、同土谷真知子所有の同番七八一土地であり、Q土地は被告阿部淑所有の同番七六二土地であり、R土地は被告福田典充所有の同番七七九土地であり、S土地は被告山口喬所有の同番七六三土地であり、V土地は被告鈴木康弘所有の同番七六六土地であり、W土地は被告竹入美保子所有の同番七六七土地である。」

と述べ、さらに抗弁として

「仮に、本件係争地の地番が原告主張のとおりだとしても、被告らは、次のいずれかの取得時効の完成により、本件係争地の所有権を取得した。

一  訴外智良造は、昭和五年一二月二二日より、本件係争地を所有の意思をもって平穏公然に占有し、かつ占有の始め善意無過失であるから、前記日時から満一〇年の経過により、本件係争地の所有権を時効取得した。そして訴外北村維敏が昭和三〇年一二月二八日、次いで訴外神田土地建物株式会社が昭和三一年一二月二六日、いずれも売買に基づき本件係争地の所有権を承継し、さらに後記四記載の日時、区分により被告らが売買等に基づき本件係争地の所有権を承継取得した。

二  訴外北村維敏は、昭和三〇年一二月二八日より、本件係争地を所有の意思をもって平穏公然に占有し、かつ占有の始め善意無過失であり、そして訴外神田土地建物株式会社が昭和三一年一二月二六日より、次いで被告らが後記四記載の日時、区分により、いずれも売買に基づき右同様の占有を継続したから、被告らは前記昭和三〇年一二月二八日から満一〇年の経過により、本件係争地の所有権を後記四記載の区分により時効取得した(但し、F土地については、訴外岡本永治が時効取得し、被告岡本喜子が相続に基づき承継取得した。)。

三  訴外神田土地建物株式会社は、昭和三一年一二月二六日より、本件係争地を所有の意思をもって平穏公然に占有し、かつ占有の始め善意無過失であり、そして被告らは売買に基づき後記四記載の日時、区分により右同様の占有を継続したから、被告らは前記昭和三一年一二月二六日から満一〇年の経過により、本件係争地の所有権を後記四記載の区分により時効取得した。

四  被告村上正恵は別紙図面表示のA土地を昭和三二年一一月二〇日より

被告田中治作、同安田正男、同長谷川芳太郎はB土地を昭和三二年一一月二〇日より

被告谷中美枝はC土地を昭和三二年八月二一日より

被告安藤千恵子はD土地およびM土地を昭和三四年八月一八日より

被告片岡昭子はE土地を昭和三四年一〇月二〇日より

訴外岡本永治はF土地およびP土地を昭和三六年九月二九日より、そして続いて被告岡本喜子が右両土地を昭和四一年八月二一日より

被告定兼隆信はG土地を昭和三四年九月三日より

被告小林張三郎はH土地およびU土地を昭和三四年九月二五日より

被告安部陽一はI土地およびT土地を昭和三四年八月一八日より

被告鈴木康弘はJ土地およびV土地を昭和三二年八月二八日より

被告山本道一はK1ないしK4土地、X1およびX2土地を昭和三二年一一月二二日より

被告萩森典子はL1、L2、Y1、Y2土地を昭和三四年八月一八日より

訴外高橋清三郎はN土地を昭和三二年八月二一日より、そして続いて被告大沢トシ子が右土地を昭和三六年六月一四日より

訴外土谷義雄はO土地を昭和三二年八月二一日より、そして続いて被告土谷千代子、同土谷正彦、同土谷真知子が右土地を昭和三四年八月三〇日より

被告阿部淑はQ土地を昭和三二年八月二八日より

被告福田典充はR土地を昭和三二年八月二三日より

被告山口喬はS土地を昭和三二年八月二一日より

被告竹入美保子はW土地を昭和三四年八月一八日より

それぞれ所有の意思をもって平穏公然に占有し、かつ占有の始め善意無過失であるから、被告らは、前記各日時より満一〇年の経過により、それぞれの土地の所有権を時効取得した。

五  訴外智良造は、別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地について、原告が所有権取得登記を経由した昭和二五年一二月四日より、所有の意思をもって平穏公然に占有し、かつ占有の始め善意無過失であり、そして訴外北村維敏が昭和三〇年一二月二八日より、次いで訴外神田土地建物株式会社が昭和三一年一二月二六日より、さらに右各土地に関係する被告らは前記四記載の日時より、それぞれ右同様の占有を継続したから、右各土地に関係する被告らは、前記昭和二五年一二月四日より満一〇年の経過により、右各土地の所有権を時効取得した(但し、F土地については訴外神田土地建物株式会社が時効取得し、訴外岡本永治が売買に基づき、さらに被告岡本喜子が相続に基づき承継取得した。)。」

と述べるとともに、原告主張の再抗弁に対し「否認する。」と答えた。

理由

一  ≪証拠省略≫によれば、二一三番三二一、同番三二八、同番三六三、同番三六六、同番三六八、同番三七二の各土地は原告の所有であること、二一三番三六四、同番三六七、同番三七一の各土地は訴外森脇将光の所有であるところ、原告は、右訴外人の昭和二三年度および同三一年度の滞納国税を徴収するため、昭和四〇年七月一〇日、右三筆の土地を差押えたこと、二一三番七四一土地は被告村上正恵の、同番七四〇土地は被告田中治作、同安田正男、同長谷川芳太郎の、同番七六一土地は被告谷中美枝の、同番七六〇土地は被告安藤千恵子の、同番七六五土地は被告片岡昭子の、同番七六九土地は被告定兼隆信の、同番七六八は被告小林張三郎の、同番七七八土地は被告安部陽一の、同番七六六土地および同番七八〇土地は被告鈴木康弘の、同番七七三土地は被告萩森典子の、同番七五九土地は被告大沢トシ子の、同番七八一土地は被告土谷千代子、同土谷正彦、同土谷真知子の、同番七六二土地は被告阿部淑の、同番七七九土地は被告福田典充の、同番七六三土地は被告山口喬の、同番七六七土地は被告竹入美保子の、同番三〇六、七七一、七七二、七七四、七七五、七七六、七七七の各土地は被告山本道一の、各所有であること、被告定兼隆信は別紙図面表示のG土地上に別紙物件目録(一)記載の建物および工作物を所有して右G土地を占有し、被告大沢トシ子は別紙図面表示のN土地上に別紙物件目録(二)記載の建物および工作物の各一部を所有して右N土地を占有していること、が認められる。

二  そこでまず、本件係争地の地番が原告主張の地番に該当するのか、それとも被告ら主張の地番に該当するのかについて検討する。

しかして、≪証拠省略≫によれば、原告主張の地番のうち、二一三番三二一、三二八の各土地は同番二九四土地から分筆された土地であり、その他の二一三番三六三、三六四、三六六、三六七、三六八、三七一、三七二の各土地は同番一土地から分筆された土地であること、他方被告ら主張の地番土地は二一三番三〇六土地から分筆された土地であるが、右二一三番三〇六土地は二一三番三〇六、三一〇、三一九、三四七の四筆の土地が合筆されてできた土地である(但し、二一三番三一〇土地は一部が同番三一一土地として分筆されている。)ところ、右各土地のうち、二一三番三一〇土地は同番三一〇、三一一、三四九ないし三五四の各土地が合筆された土地であり、二一三番三一九土地は同番三一九、三二〇、三五六ないし三六一の各土地が合筆された土地であり、二一三番三四七土地は同番三四七、三四八の各土地が合筆された土地である。そして右各土地のうち二一三番三〇六、三一〇、三一一、三一九、三二〇の土地は同番二九四土地から分筆された土地であり、その他の土地は同番一土地から分筆された土地であること、すなわち、原・被告主張の地番土地は、さかのぼれば共に二一三番一土地および同番二九四土地から分筆された土地であることが認められる。したがって、二一三番一土地および同番二九四土地から分筆された当時(昭和三年一二月)の二一三番三二一、三二八、三六三、三六四、三六六ないし三六八、三七一、三七二の各土地、ならびに二一三番三〇六、三一〇、三一一、三一九、三二〇、三四七ないし三五四、三五六ないし三六一の各土地の位置が判明すれば、おのずから本件係争地の地番が明らかになることとなる。ところで、≪証拠省略≫によれば、分筆図面は、分譲の目的で実測に基づいて作成されたものであって、その正確度も高く信頼するに値するものであること、右分筆図面上の外郭線をかたちづくっている道路や沢はかなり特徴的であるが、右図面作成当時(昭和三年)と現在と比べてもその形状にさしたる変動のないことが認められる。とすれば、右分筆図面の作成時たる昭和三年当時の測量技術の水準からくる誤差はあるにしても、その誤差を考慮しつつ右分筆図面上表示されている特徴ある道路や沢との位置関係を基礎として合理的な移記方法で右分筆図面上の各地番土地の位置を現地において特定することは充分可能であると思料する。そこでまず、右分筆図面上の東西方向(横)線について検討するに、≪証拠省略≫によれば、横沢道路、半俵道路、びわが沢および清水沢の特徴点(甲第二号証の分筆図と甲第六六号証の実測図とを比較した場合、右道路や沢の形状に多少の差異があるが、これは右両図面の作成年月に約四〇年のへだたりがあることからして、その間の右道路や沢の自然的または人工的変動――護岸工事、道路工事など――および測量方法――例えば測量ポイントの数の差異――に基因するものであることが前示各証拠から推認される。)を分筆図と現場実測図とで一致させ、右分筆図面上の原・被告主張の地番土地の東西方向線を右実測図上に移記した場合、原告主張の地番土地の東西方向線が本件係争地のそれと一致する(但し、二一三番三七一、三七二土地の南側境界線は別紙図面表示のPO点とP2点を結ぶ直線である。)ことが認められる。次に、南北方向(縦)線のうち、清水沢沿と半俵道路沿のそれは、前示各証拠より、原告主張の地番土地のものが本件係争地の清水沢沿および半俵道路沿に一致することが認められるが、その他の南北方向線については、東西方向線のような道路や沢との比較が適当でないので、合理的方法で移記するよりほかないところ、右分筆図面作成時の測量技術より生ずる誤差は平均しているものと思料されるから、このことを念頭において、右分筆図面上および現地における距離関係を調査のうえ、右分筆図面上の南北方向線のうち原告主張の地番土地のそれを現地に移記すると、前示各証拠より、本件係争地の南北方向線がこれに該当することが認められる。

以上の事実よりして、本件係争地の地番は、原告主張の二一三番三二一、三二八三六三、三六四、三六六、三六七、三六八、三七一、三七二であると断ぜざるをえない。

三  次に、被告らは、抗弁として、本件係争地の時効取得を主張するので、以下この点について判断する。

1  別紙図面表示のMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地(訴外森脇土地)について

≪証拠省略≫によれば、訴外智良造は、昭和五年一二月二二日、訴外新那須興業株式会社より二一三番三〇六、三一〇、三一一、三一九、三二〇、三四六ないし三五四、三五六ないし三六一土地を買受けたこと、そのころ右智は、横浜で土木建築業を営んでおり、不動産売買については専門家ではなく安い土地があったら購入しようという程度であったこと、右智は本件ツムジガ平の土地売買以前にも不動産売買を専業とする右訴外会社より少なくとも二度は土地を買入れていること、智は右訴外会社より前記地番土地を買受けるにあたり、現地において、右訴外会社の関係者数名より、本件係争地も売買の対象土地の一部として指示され、右関係者立会の下、買受けた土地の境界の要所六ヶ所に「智」名入りの境界石を埋設したが、右六ヶ所のうち二ヶ所は本件係争地の南側境界線(別紙図面表示のB3点とPO点を結ぶ直線)の延長線上であること、さらに、智は、買受け直後、右南側境界線沿および購入土地の北側境界線沿に杭を打ち有刺鉄線を張ったこと、智は、買受後、本件係争地を含む購入土地の管理を訴外菊地双一郎にゆだね、昭和三〇年に訴外北村維敏に売渡すまで、毎年謝礼を支払っていたこと、右菊地は、智が購入した土地の一画に番小屋を建て、右智土地の見廻り、下刈りなどの管理をなしていたこと、智自身も、買受後まもなく、右購入土地内に別荘を建て、少なくとも終戦近くまでは毎年のように訪れていたこと、智は、買受後、本件係争地を含む購入土地を分譲する目的で分譲図面を作成し、道路の設置などもなしたこと、本件係争地について、智は訴外北村維敏に売渡すまで他より一度の異議も受けたことがないこと、および那須山岳地方にはいわゆる公図ともくされる図面がない場合が多く、そのような場合、法務局に閲覧に行っても、その目的が達せられないこと、以上の各事実が認められる。他方、≪証拠省略≫によれば、訴外森脇将光は、昭和六年九月二日、二一三番三六四、三六七、三七一の各土地を訴外新那須興業株式会社より買受けたことが認められるが、本件全証拠によるも、昭和四〇年に至るまで本件MないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地を所有地として占有管理していた事実は認められない。ところで、時効取得の要件(民法一六二条)は、必ずしも画一的に定まるものではなく、具体的場合における主体、時、客体の場所、所有権者の占有状況などによって当然に差異を生ずるものと解されるところ、右認定事実からすれば、訴外智良造は、昭和五年一二月二二日より、別紙図面表示のMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地を自己所有地と信じて平穏公然に一〇年以上占有し、かつ占有の始め善意無過失であったと断ぜざるをえない。もっとも≪証拠省略≫によれば、訴外智良造が昭和五年に新那須興業株式会社より土地を買受けた当時、すでに甲第二号証の分筆図面が存在していたことおよび昭和六年に智が購入土地の分合筆の申告をした際、その分合筆図面上には本件係争地が含まれていないことが認められる。しかし、前者については、前認定の事実、とくに売買当事者の職業、それまでの取引関係および智は訴外会社の関係者から現地で買受土地の範囲の指示を受け、その場で関係者立会の下に境界石を埋設したことよりして、右売買当時そもそも甲第二号証の分筆図面が智に示されたかも疑問であり、右分筆図面の存在をもって、智が占有の始め善意無過失ではなかったと認めることはできない。また後者についても、智の分合筆の申告は昭和六年になってからのことであることおよび前認定の事実、とりわけ売買当時の事情よりして、占有の始め善意無過失でなかったことおよび自主占有ではなかったことの証左にはならない。よって、智良造は、昭和五年一二月二二日より満一〇年の経過により本件係争地のうち別紙図面表示のMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地を特効により取得した。そして、≪証拠省略≫によれば、訴外北村維敏は昭和三〇年一二月二八日、ついで訴外神田土地建物株式会社が昭和三一年一二月二六日、いずれも売買により別紙図面表示のMないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地を取得したこと、さらに、被告安藤千恵子はM土地を昭和三四年八月一八日売買により取得したこと、訴外高橋清三郎はN土地を昭和三二年八月二一日売買により取得し、被告大沢トシ子は右N土地を昭和三六年六月一四日売買により取得したこと、訴外土谷義雄はO土地を昭和三二年八月二一日売買により取得し、そして被告土谷千代子、同土谷正彦、同土谷真知子が右O土地を昭和三四年八月三〇日相続により取得したこと、訴外岡本永治はP土地を昭和三六年九月二九日売買により取得し、そして被告岡本喜子が右P土地を昭和四一年八月二一日相続により取得したこと、被告阿部淑はQ土地を昭和三二年八月二八日売買により取得したこと、被告福田典充はR土地を昭和三二年八月二三日売買により取得したこと、被告山口喬はS土地を昭和三二年八月二一日売買により取得したこと、被告安部陽一はT土地を昭和三四年八月一八日売買により取得したこと、被告小林張三郎はU土地を昭和三四年九月二五日売買により取得したこと、被告鈴木康弘はV土地を昭和三二年八月二八日売買により取得したこと、被告竹入美保子はW土地を昭和三四年八月一八日売買により取得したこと、被告山本道一はX1およびX2土地を昭和三二年一一月二二日売買により取得したこと、被告萩森典子はY1およびY2土地を昭和三四年八月一八日売買により取得したことがそれぞれ認められるから、右MないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地は、右各被告らが所有権を取得した。なお、原告は、右MないしW土地、X1およびX2土地、Y1およびY2土地(すなわち二一三番三六四、三六七、三七一の各土地)について、原告が昭和四〇年七月一〇日滞納処分による差押登記を経由したから、右被告らは時効取得をもって原告に対抗することができない旨主張するが、右各土地については、原告が訴外森脇に代位して所有権の確認を求めているものであるから、右各被告らが、森脇に対抗しうべき事由(抗弁権)は、当然原告にも対抗しうるし、また代位債権者たる原告は第三者たる利益を有しないから(登記のない時効取得者と登記ある差押債権者との対抗力の問題および本件のごとき時効完成後二五年も経過した後の差押債権者は保護に値するのか、特に差押債権者が本件のように公共団体の場合には公法上の抑制の原理がはたらくのではないかという問題について論ずるまでもなく)、右原告の主張は失当である。

2  別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地(原告土地)について

≪証拠省略≫によれば、訴外北村維敏は、昭和三〇年一二月二八日、訴外智良造より分合筆前の二一三番三〇六、三一〇、三一九、三四七土地を買受けたが、北村側は買受けるにあたって、維敏の父慎之助および右土地売買について一切を任されていた福田喜太郎が、現地で、智側より指示を受けた買受ける土地の範囲のうちに本件係争地も含まれていたこと、その時までに智はすでに二五年以上も右土地を占有しており、前記「智」名入りの境界石も当時まだ残存していたこと、北村家は、不動産売買については素人であり、その職業である銘木販売業を通じて智良造を知っていて、その人となりを信用していたこと、北村は、本件係争地を含む買受土地の管理を前記菊地双一郎にゆだねたが、ほゞ一年後の昭和三一年一二月二六日右土地を訴外神田土地建物株式会社に売却したこと、右神田土地は、買受土地の範囲が現場で指示された分譲測量図の範囲に間違いがないかどうかを確認するため、「智」名入りの境界石の存在だけでは十分でないとして法務局に調査に出かけたが、公図ないしそれに代わるべき図面はないとのことで公図の閲覧はできなかったが、その際の係官の示さにより那須地方の土地について詳しい訴外菊地三男や同門目承昌を訪れて、買受土地が本件係争地を含んだ前記分譲測量図どおりで間違いがないことを確認していること、そしてさらに、買受後、分譲目的で分合筆図面を作成した際、現地で法務局の係官の立会、確認を受けていること、神田土地は菊地双一郎に右買受土地の管理をゆだねるとともに、右土地の北側境界線沿および南側境界線(別紙図面表示のPA点とPO点とを結ぶ直線およびその延長線)沿に有刺鉄線を張り、神田土地所有であることを示す立看板などを立て、さらに右土地を五五区画に分割して道路などをつくり、各区画ごとに境界石を入れたこと、ついで被告村上正恵は別紙図面表示のA土地を昭和三二年一一月二〇日、被告田中治作、同安田正男、同長谷川芳太郎はB土地を昭和三二年一一月二〇日、被告谷中美枝はC土地を昭和三二年八月二一日、被告安藤千恵子はD土地を昭和三四年八月一八日、被告片岡昭子はE土地を昭和三四年一〇月二〇日、訴外岡本永治はF土地を昭和三六年九月二九日、被告定兼隆信はG土地を昭和三四年九月三日、被告小林張三郎はH土地を昭和三四年九月二五日、被告安部陽一はI土地を昭和三四年八月一八日、被告鈴木康弘はJ土地を昭和三二年八月二八日、被告山本道一はK1ないしK4土地を昭和三二年一一月二二日、被告萩森典子はL1、L2土地を昭和三四年八月一八日、それぞれ買受けたこと、右被告ら(訴外岡本永治を含む)は、その買受土地を別荘地などとする目的で不動産売買を業とする神田土地から買入れたものであること、被告らは、右各土地上に所有名義を示す立札をたてたり柵を設けたりし、また自分自身あるいは菊地双一郎にゆだねて草刈りをする等して、右各土地の管理占有をしてきたこと、前記北村が買受けて以来一〇年間、右土地関係者は、別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地について、他より侵略や異議を受けたことがないこと、以上の事実が認められる。他方、≪証拠省略≫によれば、原告が、昭和二五年一二月四日、二一三番三二一、三二八、三六三、三六六、三六八、三七二の各土地を訴外下村雪子より相続税の物納として、その所有権を取得して以来、所有者としての動きをみせたのは昭和四一年になってからであることが認められ、本件全証拠によるも、原告が、昭和四三年以前において、本件AないしJ土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地を所有地として占有管理していた事実は認められない。ところで、前述のように時効取得の要件は相対的なものであると解されるところ、右認定事実からすれば、訴外北村維敏は、昭和三〇年一二月二八日より、別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、Y1およびY2土地を自己所有地と信じて平穏公然に占有し、かつ占有の始め善意無過失であり、その後神田土地が昭和三一年一二月二六日より、そして前記被告らがその購入時より、右各土地をそれぞれ自己の所有地と信じて平穏公然に占有し、右占有状態が前記昭和三〇年一二月二八日より通算して一〇年以上継続したものと断ぜざるをえない。もっとも、≪証拠省略≫によれば、訴外北村維敏名義で昭和三二年八月五日になされた分合筆図面は従前の分合筆図面と異なり図面上本件係争地が含まれていること、および右北村が買受けた際、従前の分筆図面などの調査をせず、隣接地主立会の上での境界確認もしていないことが認められる。しかし、前者については、前認定事実たる北村が智から買受けた当時の事情よりして、自主占有および占有の始め善意であったことの証左にはなっても、占有の始め悪意であったことの証左にはならない。また後者についても、前認定の北村の職業、前所有者である智の長期間の占有、境界石の存在、公図の不存在、法務局の姿勢などの諸事実、および弁論の全趣旨より認められる当時本件係争地とその周辺区域には所有者が誰であるかを示す徴表物は存在せず、かつ本件係争地周辺の地主は大部分が不在地主である事実からすれば、北村に対し、売買の際に分筆図の調査や隣接地主の立会確認を要求するのは酷であり、右事実がなかったからといって、北村の本件係争地の占有開始が善意無過失ではなかったと認めることはできない。よって、訴外岡本永治を含む右被告らは、前記昭和三〇年一二月二八日より満一〇年の経過により本件係争地のうち別紙図面表示のAないしJ土地、K1ないしK4土地、L1およびL2土地をそれぞれ時効により取得した。そして、前記乙第一六号証によれば、被告岡本喜子はF土地を昭和四一年八月二一日相続により承継取得したことが認められる。

四  以上要するに、本件係争土地は、訴外新那須興業株式会社が昭和五年ごろこれを被告ら主張の地番(分合筆の経過は前述のとおり)の土地として売出して以来数十年間にわたり転々譲渡され、その間に既成事実が積み重ねられ、最後には、被告らが正常な取引により別荘地などにする目的で相当な対価を支払って買受け、これを正しい地番と信じて(結果としては誤った地番について)所有権取得登記手続をし、各自の区画にそれぞれ名札をつけて管理し、一部の人はすでに建物を立てているのである。これに対し、原告国および訴外森脇将光は、その中間において、それぞれ財産税の物納および売買により本件土地を取得し、結果としては、その正しい地番について所有権取得登記手続をしたことになるが、その所有権取得にあたり本件土地について十分な調査をした証拠もないし、また、ただちに十分な管理をはじめた形跡もない。

これらの事情を総合考察すると、対抗力についての前述の判断は別としても、原告が、右にのべた長年月にわたり積み重ねられた既成事実を無視し、これにもとづいて、正常な取引により本件土地を買受けた被告らに対し、登記の欠缺を唯一の理由として、その時効による所有権取得を否認することは、権利の乱用であるから、許されない。すなわち、この観点から見てもこの場合、被告らは登記なくしてその時効取得をもって原告に対抗できると解すべきである。

以上の理由により、本件係争地については、被告らが、右認定の時効に基づき、その所有権を取得したことが認められるから、被告らのその余の抗弁について判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当である。

よって、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺均 裁判官 新海順次 市瀬健人)

〈以下省略〉

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